西山満(b) ホームページ
■ 1932年10月10日、岡山市下石井生まれ、
3才前後、当時の満州(中国北東部)新京(現在の長春)に。
10才の頃帰国、父親の仕事の関係で絶えず住居が変わり小学校だけでも4回転校。
独立心や闘争心がこの時代に身についたのだった。
■ 1945年、2次世界大戦末期、米軍による日本全国大都市への空襲
■ 廃墟の夏、ヒロシマ・長崎
■ 終戦。中学・高校には在籍したが学校は殆ど行かずアルバイト。
楽器店のショーウィンドウで輝くギターに憧れ、
中学2年の秋、アルバイトで買ったギターでカルカッシを勉強したのが最初の音楽体験。
その後ベースに変更し独学でマスター。
■ 1953年冬、ベーシストとして 進駐軍キャンプを巡回するダンスバンド “7 planets”に参加。
その後、佐坂文彦(d・故人)“master sounds” 、奥村秀夫クインテット、下町譲トリオ、
久木元弘之トリオ、など幾つかのグループを経て、
1967年冬、大阪で最初のジャズ クラブ<8>に自己のグループ“spiral"を組織出演、爆発的人気を得て、
現在まで美しく力強いJAZZを追及する。
■ 1970年ジャズクラブ「SUB」を谷町9丁目にオープン、自由なジャズ音楽の空間を創る。
伊藤 智章(ts)、久保利道(ds)、堂迫康夫(p)、タロー岡本(ds)等と
熱い演奏を始め、現在に至る基盤を確立。
■ 1974年ジャズクラブ「ROYAL HORSE」のオープンとともに、自己のトリオで出演、
又新しいジャズクラブの方式を考え、空前のジャズブームとなる。
■ 「SUB」、「ROYAL HORSE」で多くのジャズマスターと共演する機会を得た。
デューク・エリントン、カウント・ベイシー、クインシー・ジョーンズ、レイ・チャールズ等の
ビッグ・バンド・メンバーが来店し、ジャム・セッションを通して親交を深める。
また、ソニー・ロリンズ、ハンク・ジョーンズ、アート・ブレイキー、レイ・ブラウン、
日野皓正、フレディハバード、ロイヘインズ ビルエバンス、ブルーミッチエル、レニーホワイト、
フランクロソリーノ、フィリージョージョーンズ、サムジョーンズ、ソニーフォチュン、オテロモリノ、
アートブレーキー、ミキーロカー、などと親交を深める。
その交友関係はJAZZの歴史そのものでニューヨークのミュージシャンとリアルタイムで直結しており、
我が国よりもむしろニューヨークのミュージシャン達に有名。
1972年 ロイ・ヘインズのコンサート主催を皮切りに
ライブハウスから大ホールまで数十年間に渡りプロデューサーとして活躍。
国内外のミュージシャンを交流させ、一般リスナーへ楽しく解りやすいJAZZを提供。
アマチュアとのジャム・セッションを大切にしており、JAZZの根本的な魂を伝承した。
後輩の育成に愛情をそそぎタロー岡本、竹下清志、竹田達彦、その他大勢ミュージシャンを世に出した。
■ オテロモリノは1978年より、ミキーロカーとは1985年よりグループを作り活動した。
1980年より、ジョージ川口(故人)ウエストジャパンオールスターに参加。
1990年大阪府府民劇場のジャズカテゴリーで日野晧正ジャズコンサートをプロデュースし、
10年間大阪府の全文化施設をまわる。
現在も日野晧正<ニューディレクション>として年2度(各4回)活動している。
1985年岸和田市教育委員会のアドバイザー、1997年大阪府知事より芸術文化功労章を受賞。
■ 2011年は竹田一彦(g)と毎週金曜「SUB」でデュオ、約3ヵ月に1度トミーキャンベル(d)とのセッション、
毎月第1土曜日は10代〜20代前半のミュージシャン達と宮脇知子(vo)と共に「SUB」に出演。
ザ・ヘビースタッフ、宮哲之(ts) 唐口一之(tp)竹田達彦(d)の「SUB」でのライブは毎月第3月曜。
「JAZZは信頼と愛と人生の音楽」をモットーに、まさに日本とニューヨークの架け橋として活躍していた。
2011年8月31日、逝去。
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日本のジャズ弾き【ベース】